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公団の看板跡切り通しを抜けると、薄暗かった道の先が明るくなってきました。もうそろそろでしょう。左側に分岐が現れます。こちらには後で行く事にします。真っ直ぐ進むと、公団の立入禁止の看板の残骸があります。その脇を抜けて、奥へ。結末を知りたいのです。 |
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やはり、行き止まり道は突然、行き止まります。立入禁止の柵があるわけではなく、道そのものが無くなっていて、進めないのです。足を踏み外して、崖から落ちないかと、冷や冷やしながら、開発中の八王子市側を眺めてみました。 |
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眺め昔の風景の手がかりである丘さえも、根こそぎなくなっていました。この先の昔の風景は、1988年発行の守屋龍男著「多摩の低山」に記載されている「八王子・七国峠の鎌倉古道」から推測するしかありません。それによると、この先にあったというお地蔵様の分岐を左に進んだ先は、眺めが良く、目の前に高尾山、遠くに富士山を望めたといいます。そして、尾根道を辿ると、その先、宅地の造成地に出るものの、京王線の山田駅まで抜けられたようです。これは、昭和60〜61年(1985〜1986)のお話です。 |