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相武ゴルフ場方面大船給水所からも、開発地の風景が一望できますが、それよりも開発地の西側の風景に心奪われます。この方向には高尾山が見えるはず。高尾山に登った事が無いのでわからないのだけど。 |
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七国峠分岐先程の鎌倉古道分岐に引き返し、元の朱雀路のコースに戻ります。その先に、七国峠分岐があります。「新編武蔵風土記稿」によると、七国峠とは「この峠にて、武蔵・相模・伊豆・下野・安房・駿河・常陸などの国々が見えるために、この名があるという」朱雀路の説明板によれば、この道は鎌倉古道の跡であり、鎌倉時代、上州(群馬県)や武州北部(埼玉県)の武士たちがこの道を通って、鎌倉に駆けつけたそうです。明治時代には絹の道として利用されたといいます。地元では七国道(後北条氏の時代は、小田原道)と呼んで、明治32年(1899)まで、八王子に出る為に利用していたようです。 |
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出羽三山供養塔分岐中央の小高い場所に、石塔があったので近づいてみます。この石塔は「町田の民話と伝承第2集」によれば、出羽三山(湯殿山・月山・羽黒山)の遥拝碑だといいます。天保10年(1839)のもの。石塔に漢文で何やら、刻まれていますが、草書のため、ほとんど読めません。さらに、所々、破損しています。両家の文字や居士と上座の2名の戒名が書いてある事から、先祖が出羽三山をお参りした事を記念して、その子孫が立てたのだろうか。 |