赤田谷戸について

赤田谷戸を検索しても、ほとんど、検索結果が出てきませんし、その検索結果も、期待できるものではありません。 それも当たり前です。今から、20年近く前に開発が始まり、約10年ほど前に区画整理が終っています。ということで作ってみました。

以下は、モワーズ(旧、入谷の住人)さんから頂いた御情報です。

「赤田谷戸とは、東急田園都市線のあざみ野駅と江田駅の間に広がっていた赤田地区(現在のあざみ野南・みすずが丘)の自然(約67ha)を指す言葉です。

南北に東急田園都市線が横切り車窓から眺めが良く見えたこともあって知名度が高く「緑区の緑を守る会」による自然保護活動なども行われました。毎月「赤田通信」を発行したりホタル見物の催し物をしたりするな どの観光地ぶりでした。住宅地だらけの沿線で別の魅力のある場所にすれば別の価値があったかも知れないと確かに思います。

その自然は、東急と地元の組合による区画整理でほぼ全てなくなって しまいました。残された緑地は1haにも満たないと思われます。なぜ、これだけの面積の開発ながらほぼ緑地を残さないのはやはり残念です。近辺で同じ頃開発された三輪緑山住宅や都市庭園鶴川台のような緑豊かな開発は何故行われなかったのかと。

このページでは、一部で開発が始まった昭和60年秋頃、かなり開発の手が加えられた昭和60年冬頃、谷戸の源流部まで埋め立てが進んだ昭和61年春頃、現在の平成16年7月に撮影したものを中心に紹介します。

もっと、赤田谷戸について知りたければ、沿線に早くから住んでいた方には赤田地区を良く知っている方がいらっしゃいますし、あざみ野駅の南側にある山内図書館にその後の記録を綴った「赤田通信」、「晩秋の赤田路」「緑新聞」などがあります。「緑新聞」に赤田地区や玄海田地区の開発についての活発な論気などが記録されています。あわせてごらんいただければと思います。」

赤田谷戸新旧比較

この下の写真は、昔の赤田谷戸を知らないkampeitaが赤田地区の空中写真を加工したものです。大まかな変化が分かると思います。
昭和49年の頃(開発前)(663kb)

平成2年の頃(開発中)(793kb)


画像は、国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省より。名称は赤田通信1巻、赤田ガイドより。画像が重いので注意してください。

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