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馬頭観音、地神塔、猿田彦道祖神分かれ道に入ってすぐ、さらに右カーブする左手の崖に石碑が並んでいます。左から順に、安政6年(1859)の馬頭観音、明治26年(1894)の地神塔、享和3年(1803)の猿田彦道祖神。猿田彦道祖神は初めて見ました。なんで、こんな所にあるのだろう。 |
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右折早淵川沿いの道に出てきました。右折します。この道は、現在の県道横浜生田線の旧ルートに当ります。上の石碑群もそれと関係があるのではないでしょうか。矢崎橋前からの旧ルートは、しらさぎのみちとして策定されています。大正10年の地図によると、荏田から中川に向かう道は、現在の矢崎橋が当時、無いため、早淵川沿いに南下して迂回し、この先の矢先橋で早淵川を渡っていました。昭和26年の地図には、すでに矢崎橋が架けられているので、その間にルートの変更があったものと思われます。 |
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石仏群その当時を物語る石碑を交差点で見つけます。左から、文字が磨耗して全く読めない石碑、道標、馬頭観音です。石碑同士が密接している為、読みにくい。道標に刻まれている文字が草書なので読めない。左側に、「北えだじく(荏田宿)」と発見。なお、「港北区史」で調べると、これは文政9年(1826)の神奈川道道標で、書いてあるのは、正面に「坂へ登れば柚木、左渋沢神奈川」右「南 茅ヶ崎、川崎」左「北 荏田宿、観音(真福寺のこと)」裏「東 大棚、江戸」とのことです。 |
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矢先橋前別の通りに出てきました。ここで右折すれば、都筑中央公園はまもなくです。その前にお昼を調達する事にします。県道横浜生田線の旧ルートと同じく、左折して、矢先橋へ。 |