随身門(ずいじんもん)

神社に門があることは珍しいことです。しかも、その門の両脇には、武官姿の神像が置かれています。こういった門を随身門と呼ぶようです。江戸時代中期のものとされています。

境内には、鐘があって、お寺のような感じすらします。「町田の民話と伝承第一巻」によると、推古24年(616)には修理の記録があるという古い歴史を持ち、神仏混淆時代には、観世音菩薩像が併祠されていたようです。現在でも鳥居と随身門には卍のマークがあるとのことです。

拝殿

随身門の先に拝殿。境内の由緒によると、康平5年(1062)、源義家が奥州征伐から帰途の途中、近くの木曽宿で病に罹り、毎晩、鬼に責められる夢に苦しめられて、当社に祈願したところ、翁が夢に現れ、鬼を射倒し、病が全快したことから、感謝して寄進復興をした際、矢を屋根に挿し、さらに矢竹が繁茂していたことから、箭幹八幡となり、地名を矢部としたといいます。

さらに、この鎮守八幡は、源義賢(木曽義仲の父)と源義平(源頼朝の兄)との戦いの最中、白髪の老翁に化して矢を拾い集め、劣勢の義平側に渡し、戦いを仲裁したという伝説があります。

矢部八幡交差点

矢部八幡神社の鳥居の右脇から先程の通りに出てくると、ちょうどそこは、その名の交差点。

その先に見えるトンネルは日向根隧道で、根岸に続いているはず。因みに先程の源義賢と義平と戦いの後、矢の根を埋めたところから根岸と名がついたといいます。

桜美林学園東交差点

坂道が続きます。坂の上には、真新しい桜美林学園の校舎が見えてきます。

続く