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高幡山不動尊道明治になって、中央線が開通した事により、日野駅からの高幡不動尊への参拝路になったのではないかと思われます。その頃、まだ現在の京王線が開通していません。正岡子規の「高尾紀行」を読んでいると、明治25年日野駅から高幡不動を経由して茂草の松連寺(現在の百草園)を目指したことが書かれています。 でも、中央線の開通は明治22年。この石碑が建てられたのは、明治17年。つまり、中央線の開通前から参拝路だったという事ですね。 |
日野宿本陣新選組の支援者だった日野宿名主、佐藤彦五郎の屋敷です。近藤勇が出稽古に訪れ、土方歳三、沖田総司、井上源三郎らが通った天然理心流の道場がありました。ようやく、この建物の前に到着したのは、既に16:40過ぎ。入館時間16:30(開館は17:00まで)を過ぎてしまっています。そこで、そばにいたスタッフの方にお願いして、入口の写真だけならいいよと許可をもらい、撮らさせてもらいました。 |
明治天皇日野御小休所址及建物附御膳水門のすぐ内側にこう刻まれた石碑が建っています。漢文みたいな題ですが、つまり、明治天皇がここで休憩して水を御飲みになった場所ですよという事を教えてくれます。昭和になってからのものです。「新選組のふるさと日野」で調べると、明治13年に東京から京都へ向かう途中、本当は通過予定だった日野で休憩し、一日目の宿泊地である八王子に向ったという事です。 スタッフの方にお礼を言って、日野宿本陣を出ていきます。閉館までの微妙な時間だったので、撮らさせていただいたのだと思います。 |