境内

本堂から車道を降りてきます。境内に樹齢500年の槙の大樹があります。元は、この木の辺りに本堂がありました。

由緒によると、昭和48年頃から東海道線の増線工事(私が思うに、線路を共有していた東海道線と横須賀線の線別運転開始による東海道貨物線の新設に伴うものと思われます)により、墓地を移転しなくてはならなくなり、墓地を旧境内に移転し、裏山に本堂などを移転しました。

品濃トンネル

北天院前の跨線橋を渡り、横須賀線を越えます。

横須賀線の左側には、東海道貨物線が並行して走っています。その先に見えるトンネルは、右から順に、大正時代に掘られた横須賀線の品濃トンネル、昭和時代に掘られた東海道貨物線の猪久保トンネルです。明治時代に掘られた東海道線の清水谷トンネルと、それぞれを比較することでトンネルの掘削技術の進歩が伺えると思います。時代が新しくなる毎にトンネルの長さが長くなっていきます。

三叉路

跨線橋を降りてきた先を線路沿いに進みます。丘の周りの道を進みます。辺りには畑が広がり、耕耘機で畑を耕している農夫の姿も。

三叉路に出てきました。真ん中の道を進みます。左は住宅へ。右に見える道には、「この先行き止まり」と書かれた看板が立っていますが、地図で調べると、その先、武相堺道につながる道が分岐しているようです。
続く