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名瀬道路名瀬道路に出てきます。先ほどの大通りよりも、はるかに交通量が多いです。東海道と名瀬町とを結ぶ名瀬町の主要な交通路です。そのまま、名瀬道路に合流し、左折して東戸塚駅方面に引き返すような感じ。 |
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妙法寺前妙法寺前に出てきます。門前には慶応元年(1865)の双体道祖神と文政12年(1829年)の堅牢地神があります。 |
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妙法寺「とつか歴史ろまん」によると、この妙法寺は、寺伝には徳治元年(1306)の創建と記され、別に「相模風土記」によると嘉吉3年(1443)、風間越前守信昭が大旦那となって創建と紹介されています。寺前の由来の石碑には、寺伝通り、徳治元年の創建で信昭公の屋敷跡にお堂を建てたのが始まりだそうです。信昭公の屋敷がなぜ、ここにあったかといえば、信昭公は新潟の有力な豪族であり鎌倉勤番の折、鎌倉街道中の道の通じていた名瀬町に屋敷を構えていたからだそうです。現在でもその屋敷跡には殿畑という地名が残っています。 |
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妙法寺橋跡妙法寺前の名瀬道路沿いに、「昭和九年五月成」「妙法寺橋」とそれぞれ書かれた2本の石柱が残っています。「とつか歴史ろまん」によれば、かつて妙法寺脇を小川が流れ、この妙法寺橋が架かっていたそうです。「谷戸の暮らし2」の昭和36(1961)年頃の地図に桐谷(現:東戸塚ネオポリス)からの小川を確認できます。この橋のそばの豆腐屋ではトコロテンを売っており、山道を越えてきた大山参詣の旅人達が立ち寄り、喉をうるおしたことから、いつしかテンヤ橋と呼ばれたそうです。 |