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分かれ道川の右岸にも住宅が建ち、それぞれの家専用の橋が架けられています。分かれ道となりますが、川沿いに進みます。 |
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西蓮寺前右手の住宅地の背後に、墓地が斜面にある丘が近づいてきます。やがて、その丘の麓に浄土宗西蓮寺の山門が見えてきます。なお、住職は、名瀬を語る上で欠かす事のできない貴重な資料「はっとんぼ」という本を書いています。名瀬を取りあげる本で必ず参考文献になっています。「谷戸の暮らし2」の参考文献です。今回、私も「はっとんぼ」とほぼ同じ内容を載せた「名瀬連町だより 名瀬の谷(やと)ふるさと聞き書き帳(以下、ふるさと聞き書き帳)」を拝見しました。 |
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西蓮寺「とつか歴史ろまん」によると、古くは下柏尾村にあって元禄時代(1688〜1704)に現在地に移ったそうです。本堂の造営は横浜市内でも古めの万治2年(1659)。西蓮寺がこちらに移ってきた時代とずれますが、この本堂も一緒に移ってきたのでしょう。 |
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古仏群その「ふるさと聞き書き帳」によると、境内左手には古仏群には、万騎が原の戦いで戦死した武士の供養のための五輪塔があり、さらに戦前には、境内に戦死者の塚があったとあります。鎌倉街道中の道が通っていた名瀬の歴史を感じさせます。 |