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地蔵堂階段を登った先の背後の神社に対して、一段低くなった場所に社があります。「新編武蔵風土記稿」によると、この場所は松木七郎の屋敷跡の場所とされています。南の山に馬場の跡があったそう。今の浅間神社がある辺りでしょうか。 |
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閻魔様中を覗くと、怖いというよりも、何か、人懐っこい顔をした閻魔様がいます。他にも十王の像が見えます。そばには、仏像があったりと、神仏習合の名残なのかなと思いました。 |
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松木七郎墓閻魔堂の奥の続きには、松木村の開拓領主で、さらに松木という地名の起こりの松木七郎の墓といわれる宝篋印塔があります。江戸時代より前のお墓はこのタイプのものが多いです。新編武蔵風土記稿が書かれた江戸時代の当時、碑面からは「永和2年(1376)」とかすかにしか読み取れなかったそうです。つまり、その年に亡くなったということらしく、松木七郎師澄は、鎌倉公方持氏の家臣であったという堂主の話を紹介していますが、持氏は永享11年(1437)に討死している(即ち、永享の乱)ので、これはおかしいと否定しています。 ちなみに、後ろに見える石碑は、600回忌の記念供養塔で、古そうに見えますが、以上のことを考えれば、それほど古いものではないことがわかります。 |