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荒畑寒村里親の家付近石垣のあるお宅の前で分かれ道。左折します。この辺りに荒畑寒村の里親の家があります。案内は出ていませんので、どの家かはわかりません。荒畑寒村は、私も名前だけは知っていた社会主義者でした。「港南の歴史」によると、明治20年(1887)、南区永楽町の横浜遊郭の仕出屋に生まれ、母の母乳が出ないため、上野庭に里子に出され、5歳で生家に引き取られた後も里親恋しさに独り記憶をたどって野庭を訪れたといいます。 |
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鎌倉下の道この道は鎌倉下の道が通っていたと推定されています。道沿いに石垣のお宅が続きます。道幅も昔のままなのでしょうか。前方には雑木林の丘が見えてきました。この先が楽しみです。 |
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分かれ道丘の手前で分かれ道になります。鎌倉下の道のルートに沿って、雑木林の丘の方へ進みます。その先、「造成工事中につき、通り抜けできません。」という看板が現れますが、歩行者なら通れるだろうと進みます。行き止まりを示すカラーコーンの間を抜けて、奥へ。 |
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ねばい坂「下野庭」によると、この切り通しの道はねばい坂と呼ばれたそうです。昔の鎌倉街道の風景を思い起こさせてくれます。右手の雑木林の奥は、日限山の住宅地のはずです。雑木林に入らないように、針金が張り巡らされていますが、開発を控えて用無しになったのか、所々切れています。 |