野庭神社

暗闇に閉ざされた境内に入り、おぼろげに見える野庭神社をお参りします。

「下野庭」によると、上野庭の氏神様。祭神は野庭神明社と同じ、日本武尊です。

浄念寺

野庭神社の先に浄土宗浄念寺があります。「港南の歴史」によると、開基が野庭神社を勧請した人と同じで、同じ頃の創建です。境内に入ろうとすると、お寺のお母さんに呼止められてしまいます。どうやら、暗くなって来たため、不審者と思われたようです。

野庭を歩き、西長院を探していてこんな時間になってしまったことを詫びると、ようやく警戒を解いてくれます。野庭に興味があって来たと告げると色々と話をしてくれて、西長院のことを尋ねると、あの墓地のところにあったのよと教えてもらいます。

力石

そのうち、お母さんは家に戻ってしまいます。境内の左手に、力石が置かれています。上野庭町内会文化部の説明によると、関城跡から発見されたものと伝えられ、重さ70s。村の青年達がこの石を持ち上げて力自慢を競い合っていたそうです。

さらに、是非見ようと思っていた境内の裏山にある咳止め玄入坊の祠を見に行きます。案内板に従って境内裏の墓地の中を進みます。暗い時に墓地を通りたくないけど仕方が無い。墓地が終わったすぐの崖の所に咳止め玄入坊の祠がありました。

咳止め玄入坊の祠

「港南の歴史」によると、上野庭村字島田に玄入坊という旅の僧が通りかかり、咳で悶え苦しむ病人を見て、村人に穴を掘らせ、「中に入ったら一日三回、水を流し込んでもらいたい」と遺言し、入定して、その病人を救ったといいます。入定の地は字玄入坊と呼ばれ、現在の野庭団地の南の一角、榊の根元に祠がありました。昭和6年(昭和46年?)に現在地に移ります。

大正時代〜昭和初期にかけて、咳が出ると湯茶を入れて早く治るようにお参りをしたそうです。
続く