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天宗寺が見えてくる住宅地の中の細い路地を通り抜けると、路地は左に折れ曲がり、その先に天宗寺の本堂が見えてきます。その先、路地は天宗寺の境内に沿って右に折れ曲がります。 |
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左折その先、天宗寺の境内沿いに進み、別の通りに出てきます。天宗寺へは、ここを左折。山門から入ると、本堂に至る参道左手には、西国三十三観音の像が並びます。境内の左手のお堂に、渡し地蔵があります。「鶴見川沿い歴史散歩」によれば、江戸時代初期、鶴見川に地蔵渡し(川和〜青砥の渡し舟)があり、その土手にあった地蔵です。 |
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天宗寺岩沢山啓運院天宗寺は、「緑区史資料編第一巻」によれば、浄土宗鎮西派。天文庚子(1540)年、東譽上人開基。本尊は、三尊の阿弥陀如来像。「武蔵風土記」によると、別に上宮太子作という観世音菩薩があり、昔、安丸という信者が、この観音像を奉じ勧請の途中、安丸に恨みを持つ者が、機会を窺い、後ろから切りつけた所、安丸が運良くその難を逃れた事から、観音様のご利益のおかげだということで、身替観世音として信仰が厚いそうです。「川和」によると、その御身体には実際に刀が刺さっているそうです。 |
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竹林の坂道天宗寺を出て、次は川和富士公園へ。天宗寺前の道を北に進みます。この辺りの谷戸は、昔、猫谷と呼ばれていたそうです。境内が終わると左手が竹林の坂道になります。地神塔と書かれた石碑が、その竹林の入口にあります。以前は、この竹林の丘の上に、猫谷の鎮守、飯綱権現社が祀られていましたが、現在では、天宗寺境内に移され、境内右手のお堂に飯綱権現の額が祀られています。 |