三つの石塔

やがて交差点に出てきます。かつて、この交差点の角に杉山神社がありましたが、相模鉄道の宮崎跨線橋建設に伴う道路拡幅工事のため、移転を余儀なくされました。

境内にある石碑のほとんどが移転しましたが、左から順に庚申塔(寛保2(1742)年造立)、出羽三山供養塔(安政2(1855)年造立)、斎上地神塔(文化9(1812)年)は元の神社があった場所に残されています。裏のフェンスで囲われた元境内はふれあい広場として、仏向町内会によって管理されています。

正福院入口交差点

その交差点が正福院への入口です。交差点の角にあるコンビニの脇の道を奥へ。

正福院

二本の大銀杏の木が門替り。境内に佇んでいると、12:00きっかりにマイクロバスが到着。法事のようでその内にお経が本堂から聞こえてきました。

この正福院の山号は町名の「仏向」です。その由来について、「新編武蔵風土記」には、住職が後北条の殿様に初めて謁見した際、「願いあれば申してみよ」と言われた際、「私の様な出家の身には、仏に向って祈ることだけなので、仏向を寺の山号と村名にさせてください。」というのが起こりとされています。

門前

ですが、同じく、後北条時代の「小田原衆所領役帳」によれば、「小机の内佛餉(ぶっしょう)」という記録があり、この佛餉とは、仏に供える食物、つまり、寺院の田畑があった場所となっています。

門前の道を右折し、境内の墓地に沿って進みます。
続く