ごはん塚2

なぜ、そんな卒塔婆があるのかといえば、元久2年(1205)6月、二俣川(鶴ヶ峰)の合戦で敗れた畠山重忠の家臣達が落ち武者狩りにあって命を落とし、村人が塚を作って供養したという伝説があり、昔は5つも塚があったといいますが、現在は、開発でなくなり、この1つしかありません。それゆえ、漢字では五飯塚と充てます。でも、ご飯の時に襲われた、塚がごはんを盛ったような形をしているから、ご飯塚という説もあります。

そばにある石仏は文久元年(1861)の馬頭観音。

夕陽沈む

ごはん塚までたどり着いた所でサンセット。

帰路を急ぐことにします。

元の道を引き返す

辺りは暗くなり始めています。

その先に見える無線塔は、JPE鴨居南局。

ごはん塚遠景

先程のごはん塚を眺めます。

歴史の物悲しさを感じます。
続く