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力石道を進むと、左の道端のゴミ収集場の所に、大きな石が置かれているのを見つけます。そばにある案内板の言葉を借りると「昔、娯楽の少なかった時代若者達がここに集まっては石を持ち上げ力自慢をしあったといわれています。」この石は、その力石なのでしょう。力石を見つけた事により、昔人が集まる場所であったということは、永勝寺が近いことを確信させてくれます。 |
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永勝寺入口やがて、まもなく、永勝寺の案内板が出てきます。案内板の所を右折します。喜んだものの、永勝寺まで住宅地をしばらく歩きます。左手の下倉田少年広場のネットが現れて、その奥が、永勝寺です。 |
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永勝寺浄土真宗龍臥山禄瑞院永勝寺。「戸塚区史」によると、嘉禄2年(1226)の創建。寺の案内板によると、初め、天台宗長延寺と称したが、安貞2年(1228)、当寺に逗留した親鸞上人に帰依し、浄土真宗に改めます。戦国時代の天文年間(1532〜1553)、武田氏と縁があったために北条氏の怒りに触れ、火をつけられるなどして荒廃。甲州に逃げ、後に帰国。永勝寺と改めたそうです。 |
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本堂「栄区郷土史」によると、永勝寺の本尊は、阿弥陀如来。面懸如来とも呼ばれています。これは、伝説によると、如来像を祀った阿弥陀堂の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬したというので、お顔に面を懸けた事に因みます。また、聖徳太子像があり、笠乞太子とも呼ばれています。戦乱により、お堂が荒廃し雨漏りがして、「笠をきせよ」と呼ぶ声があったためだそうです。 |