大泉寺本堂コンクリートの本堂。この大泉寺は、曹洞宗のお寺で小山田城の跡に立てられています。本堂の裏手にある丘の階段を登ると、中腹にある寺の和尚達の墓の左手に小山田城主の供養塔があります。本堂横の案内板(小山田高家公顕彰碑)によれば、小山田有重、行重、高家の三人の供養塔とされています。 |
小山田城主の供養塔その案内板と知っている知識によれば、小山田城は承安元(1171)年、埼玉の畠山有重が小山田の庄を領し、地名の小山田を名乗り、城を築いたことに始まります。鎌倉時代、その子、稲毛三郎重成の頃に勢いが盛んになり、北条氏に滅ぼされます。さらに、時代が下り、南北朝時代、その子孫の小山田太郎高家が南朝のために戦って死んだことから、建武の忠臣が生まれた所という意味で、明治時代、この地域は、忠生村と名づけられました。 |
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弁財天このお寺は境内が広いので色々な仏閣、神社があります。それを一つ一つ紹介。寺の山門の手前、参道の左手の丘の上にあるのが、弁財天。石灯篭が壊れて、その前にあると思しき弁天池も干上がっています。 |
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観音堂参道の右手の丘の上にある観音堂です。「町田の民話と伝承1」によると、この観音様は、「馬駆け観音」と呼ばれ、毎年1月17日の御開扉の日に農家の馬が集まり、寺の参道を入口から山門に向かって駆けたので、その日を馬駆けの日と呼びました。先の戦争を機に、農家の馬が軍馬に徴収され、馬駆けの行事は消えてしまったとのこと。その馬駆けの行事の際に同時に、お見合いが行われたので、「見合い観音」ともいわれたそうです。 |