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池辺富士(元富士)池辺農専内を進みます。池辺富士にだいぶ、近づいていてきました。右斜め先の路地に入り、その入り口を窺います。手元の地図には富士塚古墳と書かれています。確かに古墳の形に見えるかもしれません。富士山信仰の富士講が盛んだった江戸時代には、この辺りでも自然の丘を利用したものや土を盛って作られた富士塚が作られました。この池辺富士も今も現存する一つです。 |
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交差点池辺富士の前まで来ましたが、登り口はまだ現れません。右折して、池辺富士の周りを回ります。ちなみに、地図ではまっすぐ行ける事になっているのに、工事中の看板がありますが、どうやら、通過車両や違法駐車を締め出す目的で道路を封鎖しているのでしょう。 |
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入口右折した先に、鳥居の入口が見つかりました。池辺富士の上には神社があるようです。富士山信仰によるものであることを裏付けます。丘の周りをぐるぐる回りながら、登るのかと思ったら、階段で一気に登りつめます。 |
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星谷浅間神社頂上には、寛政8年(1796)の銘のある石祠あり。池辺町には、明治時代の富士塚がもう一つありました。「緑区史資料編第二巻」によると、その新富士塚を作った後、新富士塚の石碑が割れ、村中の意見が合わなくなり、新富士塚付近の家々の長男が次々に死亡したので、易者に見てもらったところ、元富士を粗末にしたので浅間様が怒っているのだと言われたので、両方を祀り、大小の供え餅の大きい方を元富士塚に供えることで、敬意を示したそうです。 |