牢場坂

案内板によると、上瀬谷小学校の西にある坂を牢場坂と呼びます。室町時代の宝徳年間(1449〜1451)頃、妙光寺でも出てきたこの地の領主、山田伊賀守入道経光が鎌倉街道沿いに牢場を設けたことからこの地名がつきました。

芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅 上道編」によると、この坂道は、旧鎌倉街道と推定されますが、坂の途中の墓地から上瀬谷小学校までは、後世のものだそうです。その墓地付近に五輪塔や板碑が見られるそうですが、見つけられませんでした。

左折

上瀬谷小学校の前に戻り、再び、南下します。

その先で道が狭くなる所の手前で、左に分かれ道。コースはここを左折します。

上瀬谷小学校沿い

道の左手に上瀬谷小学校の校庭が続きます。道の右手は、再び、竹村町になります。

辺りは、段々と暗くなってきます。心は焦るばかり。なぜなら、まだ、瀬谷八福神めぐりは終わっていないのです。

右折

上瀬谷小学校が終わると、再び、左手は上瀬谷農専の農地になります。

ですが、その途中の分岐を右折します。
続く