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中原街道先ほどの中原街道への出口が山崎という地名。この辺りはどぶ川と化した有馬川が横を流れ、歩道も狭い上に、バスが何台も通り過ぎます。その道も、川崎市宮前区から、横浜市都筑区に入る頃にはきれいに舗装され、歩道もちゃんとある道になります。市の境といえば、ひどく山深いところを連想しますが、沿線が住宅地化され、そのような感じは、これぽっちもありませんでした。道は昔からある道をバイパス化したものでした。この道を行き、第三京浜をくぐります。 |
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鎌田堂第三京浜をくぐり、しばらくすると、左手に、わずかに昔の面影がありました。後で調べてみたところ、ここは、源 頼朝の父、源 義朝に最後まで付き添った鎌田兵衛正清の屋敷があり、その彼を祀ったお堂のようです。お堂自体は、江戸時代に作られたもののようです。バイパスは、どこまでも、まっすぐで単調ですね。旧道があれば、そっちに逃げたかったけど、旧道をこうバイパス化されると、逃げ道がないです。 |
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中原街道からの眺め昔と変らないのは、眺めの良さだけでしょうか。眺めが良いだけ救いです。 |
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早淵川沿いを行く。中原街道のバイパスも、途中で終わり、私は、旧道に戻らず、早渕川沿いの道を行きました。周りは、港北ニュータウンで開発が進んでいたけれど、川の周りはまだ、昭和の名残が感じられる暗さに満ちていました。周りには、畑が広がっていました。この辺りで真っ赤な烏瓜の実を見つけます。向こうにうっすらと、見えるのが、港北ニュータウンの中心部です。 |