![]() |
大北谷神社跡別の広場に出てきます。明治時代の碑と狛犬があります。ここにはかつて、大北谷神社がありました。案内板によると、北綱島の名主だった飯田家の祖先が慶長4年(1599)に建てたもので、天神七代の第六代である百足尊、惶根尊が祀られていました。いずれも開墾や新田開発などを司る神様で、大綱村北谷の人達は、この神様を守り神として開墾や耕作に勤しんでいました。市民の森として整備される際に老朽化していた社殿を取り壊したそうです。 |
![]() |
右折市民の森は、尾根道沿いに続いていますが、大北谷神社跡で分かれ道に右折します。かつて、参道であったであろう階段を降りていきます。その先、真っ直ぐ進むと見せかけて、右折しなくてはならない場所があるので注意。その先、左カーブしながら丘を降りていきます。 |
![]() |
綱島市民の森出口住宅地の路地を抜けて、通りに出てきます。この通りへ右折した先に、北綱島の名主、飯田家があります。「鶴見川沿い歴史散歩」によると、飯田家は、神奈川区・鶴見区・港北区・緑区の鶴見川下流48ヶ村の代表名主である寄場名主でした。ちなみに鶴見川上流の寄場名主は小野路の小島家です。 |
![]() |
飯田家長屋門道が左カーブする外側に、飯田家長屋門があります。門前には、屋敷を取り囲んでいた濠の一部が残っています。門前の案内板によると、江戸時代後期に作られたそうです。「港北百話」によると寄場名主だった飯田助太夫は維新時、農兵隊を組織して、官軍を迎え撃ったという気骨のある人で、捕まってあわや処刑寸前の所を山岡鉄舟によって、助けられたそうです。 |