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沓(くつ)切り坂市役所から、旧鎌倉街道を通って、聖蹟桜ヶ丘を目指します。ここは、関戸の戦いに勝ち、一路、鎌倉を目指す新田義貞の軍がここを通った際、あまりにも、坂が急で、馬の沓が切れてしまったということから名づけられたとの事。この道は、旧とは、ついているものの、新しいもので、当時のものではありません。当時のものとされる道の入り口は、右にあるセブンイレブンの裏にあります。 |
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本当の沓切り坂先ほどのセブンイレブンの裏の道を行くと、車が一台、通れるかどうかという狭い道があります。ここが本当の沓切り坂です。昼間なのに、なぜか、ちょっと、暗い。仕事をサボっているおじさんたちが車を停めて、休んでいます。ここは、昔はかなり、怖いところだったらしく、江戸時代、和田の殿様がここで、何者かに襲われて、暗殺されたとか。まだまだ、怖い話が出てきそうなところです。 |
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影忠碑本当の沓切り坂を登ると、こんな石碑にぶつかります。この石碑の文字を書いたのは、「坂の上の雲」でも有名な軍司令官、奥 保鞏(おく・やすかた)によるものです。多摩市地域での日清・日露戦争での戦死者を供養するものです。その横には、大東亜戦争での戦死者を供養する石碑が建っており、ある種、暗さを感じる地域です。 ここは、多摩市立図書館の裏に当たるところ。しかし、この坂のそばには、近寄れない神社があったりと、なにかを感じさせるところでもありました。 |