砂利道

初めのうちは住宅がありますが、資材置場となり、道が続いているか怪しくなりますが、道はちゃんと、続いていました。

ところで、「田奈の郷土史」という本に、源氏山又はけんし山(謙信山)の伝説があります。その山は上恩田の内田にあるといいます。とすると、この丘の辺りかもしれません。源氏山:「源氏の一族のいたところだと言われ、また源氏山という力士がいたところだと言われている。」謙信山:「上杉謙信に関わりがあるとも想像される。永禄3年(1560)小田原攻めのとき、この場所を通ったかもしれないとのこと。」

丘を登っていく

砂利道は舗装された道に変わります。上の地名の由来説は、伝説の域ですが、また別説に、この辺りの昔の歴史と関わりのあるものもあります。

「昔、鎌倉街道に沿った白山社及び万年寺(注:どちらも現存せず。白山谷戸の名は、白山社に由来。万年寺については、現在でも万年寺谷戸という地名に残り、万年寺の鐘は瀬谷区の妙光寺に現存しています。)などは、立派な社寺であった。白山神社には毎年、相撲の奉納があって、人手がした。」

丘の上近く

続いて、「ある年の奉納相撲が遺恨相撲となり、負けた方が勝った相手の帰りを待ち受け、殺して山に投げ入れて逃げた。役人がここで検死をしたから検死山という。」これが、由来の怖い検死山説。

夕日が降り注いで来ました。そろそろ、丘の上近く。

丘の上

丘の上に出てきました。左手に墓地があります。民家の裏庭に出てきたかなと思いましたが、その先に道が続いていました。

丘の上からの坂道を降りていきます。
続く