大石神社

女坂を登りつめると、長津田十景の「大石観桜」、長津田の鎮守、大石神社となります。

「新編武蔵風土記稿」によると、「当社は在原業平を祀ったものと伝える。ご神体は石で その大きさは人の姿である。昔は武蔵国と相模国との境にあって、両国の百姓が争いを起こしたが、武蔵国のものとなったので、この地に祭ったという。在原業平が東国に下向し、死んでその石になったという説もあるが荒唐無稽である。」

大石神社裏

「田奈の郷土史」によると、「神体の石神は、楕円形の自然石で、四角な台石に下部をはめ込んで立ててある。台石の上に現れている高さが1.35m、中央部のいちばん広いところが1.1m、上部は細くなりいくらか突起がある。正面から見ると、まるく均衡の取れた形の良い石である。」

在原業平の伝説に思いを巡らせながら、社殿の裏手に回ります。境内を出て、道を進みます。右手に長津田第四公園、左手には、長津田地区センター、つたのは学園があります。長津田地区センターでトイレ休憩ができます。

御野立所前

その道の突き当たりは、T字路です。その先に旧大山街道が御幸通りと呼ばれるきっかけとなった御野立所があります。御野立所には、子爵上原勇作元帥謹書「皇太子殿下御野立之跡」の碑と戦後の田奈慰霊碑とがあります。

御野立所とは「散策ガイド」によれば、長津田十景の「御野立所落雁」とされ、「大正10年の陸軍大演習で、当時の皇太子殿下(昭和天皇)が演習をご覧になった場所である。」落雁とは眺めの良い場所を指すようです。丘の麓から電車が通り過ぎる音が響いてきます。

御野立所

この場所については、長津田小学校の「わたしたちの長津田」、長津田第二小学校の「すぎの子」が詳しいです。陸軍の大演習は、長津田駅の東北に広がる原(畑)で行われ、大正10年、大正天皇の名代として、皇太子殿下が横浜線のお召し列車で長津田駅に到着し、御野立の丘の高台からこの演習をご覧になりました。これを記念して翌年、「皇太子殿下御野立之跡」の碑を建てました。

その後、兵士として出征する長津田の人々は、この場所で送る式を行い、長津田駅までみんなで見送りました。そうした経緯から、戦後に慰霊塔が建てられました。
続く