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子供の国通りこどもの国通りを歩きます。歩道もなく、歩くのも冷や冷や物です。今日は休日、車が激しく行き交います。もちろん、こどもの国帰りの車でしょう。しばらく、この道を我慢し、右手に現れてきた奈良川ぞいの遊歩道に逃げ込みます。この辺りから、奈良町に入ります。私はここが初めてではありません。高校時代、多摩丘陵にある大学を見学するバスで通るはめになりました。バスの運ちゃんが東名を横浜で降り、玉川大学を目指したのですが、道に迷い、隣のこどもの国線を小田急と間違え迷走しました。その頃の記憶は暗くて鄙びたイメージだったのですが、今では、打って変わって、住宅街で賑やかになってます。 |
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住吉神社前奈良川沿いを歩いてくると、途中で遊歩道は終わり、元の子供の国通りを歩きます。しばらく進むと、すみよし台の名の起こりとなった住吉神社が見えてきます。この神社の境内がこどもの国を中心とする奈良風致地区に含まれています。この境内の鎮守の森は横浜市の指定記念物となっています。神社には時間がなく、寄れませんでした。 |
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慰霊碑またもや、歩道のないこどもの国線を住吉神社の鎮守の森を右に見ながら歩いていきます。道沿いの土手に凹んだ所があります。そこに、この慰霊碑がありました。裏面の文章を読むと、こどもの国のある場所が戦前、火薬庫だったころ、旧制中学の生徒が学徒動員により、自動車で運ばれてくる途中、住吉神社前の交差点付近、つまり、この慰霊碑がある辺りで奈良川に転覆事故を起こし、何名かの学生が犠牲になったとのこと。時間がないのと、その裏に潜るスペースが狭いのとで、それぐらいの事しかわかりませんでした。 目の前の道路が大渋滞で、車からの視線が恥ずかしかったのです。 |