成瀬街道を東進

成瀬街道の吹上交差点に出たら右折し、東進。

神奈川県横浜市青葉区との都県境へ向かいます。

吹上の都県境

都県境に出てきます。都県境の手前のコンクリートの壁の凹んだ所に石仏群があります。

「成瀬の石仏」によると、その右端の地蔵は寛文11年(1671)、庚申塔は一番左側のが元禄2年(1689)、真ん中は元禄14年(1701年)。

川田家の首切り地蔵

「町田の民話と伝承第一巻」によると、右端の地蔵は別名「首切り地蔵」と呼ばれています。

「東光寺部落との境界争いで何者かに殺された、初代川田七兵衛(焼石当左衛門)を哀れんで建てた地蔵だといわれている。焼石当左衛門は吹上の野武士で、東光寺側の原嶋源右衛門と土地争いをし、川と田を越えて領地を取った功績で、小山田地頭から川田という姓をもらった。」とあります。

成瀬街道を西進

成瀬街道は車の交通量が多いですが、歩道があるので、それほど気にすることはありません。都県境から吹上交差点方面に引き返して、成瀬街道を西進します。

写真は先程の西山児童公園の対岸から、歓声が聞こえてきた南二小が左手にある南二小前交差点の辺りです。
続く