さつきが丘交差点

そのまま、道を進むと、バス通り(川崎町田線)との交差点に出てきて左折。

交差点の手前が緑区西八朔町、向こう側は青葉区さつきが丘。「横浜の町名」によるとさつきが丘は、西八朔町、恩田町の各一部から新設した町です。元は同じだった町が、今では別々の行政区になってしまっているのです。

八十橋

西に向かうと恩田川に、再び出てきます。この橋の名前は八十橋です。この名前の由来は何だろうと「新編武蔵風土記」を見ると、かち橋と載っています。考えたら、八十とは、八朔町と十日市場町との頭文字の合名ですね。

八十橋を渡ると、西八朔町を出て十日市場町に入ります。歩道は道の右手だけになります。

宝袋寺(ほうたいじ)前

橋を渡り、坂道を登ると、宝袋寺が左手の丘の上に見えてきます。

十日市場駅へはこの交差点を右折しますが、まだ、日の入りまで時間があるので、宝袋寺へ寄り道します。

宝袋寺

曹洞宗八幡山宝袋寺。創立は、天正〜慶長の頃(1573〜1615)と言われています。「新編武蔵風土記」によると、開山は、顕堂長察大和尚。建立の際、以前あったという慈性寺の跡から古い巾着が掘り出された事から、宝袋寺と名付けられたとのこと。(巾着なので袋の下部は、本来は「衣」でなく、「巾」なのですが、私のパソコンでは、その漢字をそのまま表示できません。この袋は借字です。)

階段を登って境内へ。本堂に至る参道の右手に、武相寅年薬師25番目である薬師瑠璃光堂があります。
続く