JA横浜中田前の三差路

中田寺を出て、さらに進むと右手にJA横浜中田支店があり、その前で三差路となります。

ルートは、その真ん中の路地に入り、長後街道へ出ます。

マッカーサー井戸

ここは、中田村の中心地。江戸時代には、高札場がありました。近くに庄屋があったのかもしれない。そして、マッカーサー井戸があったと伝えますが場所がわからず。残念。ネットで調べると、この左手、ディリーヤマザキというコンビ二の壁に、案内があるが、現存しない。

昭和20年(1945)8月30日、日本降伏後、厚木基地に降り立ったマッカーサー元帥が長後街道経由で横浜に進駐の際、途中で水を所望し、美味しそうに飲んだという。それゆえ、マッカーサー井戸と言われたそう。

長後街道

その先に見える長後街道に出ててきて西へ。中田中学校入口交差点付近。

長後街道は、正式には、県道22号線、横浜伊勢原線と呼ぶようです。

中田広町庚申群

長後街道の右手を歩いていると、古碑が集められた一角があります。入り口に鉄扉があったので、入りませんでした。保土ケ谷区の郷土史家の大畠洋一氏のサイト、「横浜周辺の石仏地図」によると、中田広町庚申群とのことです。

その当時、確認されたという道標の庚申塔は見当たらず。逆に中央に、道標らしい文字が刻まれた堅牢地神があります。特に庚申塔が多く集められているようです。宝永2年(1705)、貞享元年(1684)などなど。
続く