ゲンジョウ坂

「鶴見の坂道」によると、この坂をゲンジョウ坂と言います。この坂沿いに源左衛門を襲名していた家があり、それがなまってゲンジョウとなったとの事です。後ほど出てくる建功寺も元々、この辺りにあったとの事です。

この道は、先ほどの馬場谷戸から、馬場の鎮守である神明社への道でした。坂の入口のその神明社の掲示板には、本日、初詣新年祭で甘酒のサービスがある事を告げています。

水道道(県道鶴見・三ツ沢線)

ゲンジョウ坂を登ると、バス通りの坂道の途中に出てきます。この道は水道道と呼ばれています。

水道道と呼ばれるように元々は水道局の私道でした。この坂を登った先には、足引き地蔵でも出てきた鶴見配水地があります。

寺尾城へ

殿山バス停を過ぎた先から分かれる登り坂を登ります。坂の途中に寺尾城跡であるという案内板が出ています。

城主諏訪三河守は信濃諏訪出身であったこと、永享7年(1435)には寺尾城にいたこと、小田原北条氏の旗本であり、白幡大明神に足利尊氏を勧請し祀った事などが書かれています。その寺尾城址が殿山と呼ばれたとの事です。

分かれ道1

寺尾城は、永禄12年(1569)10月、甲斐の武田信玄が小田原の北条氏康を攻めた際、城主諏訪馬之助が駿河加勢のため小田原城に出向いた間に廃城になってしまいました。現在、城跡は住宅地になっています。

寺尾城址の石碑を探しに、丘の上をうろうろします。T字路に出てきました。左折します。
続く