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分かれ道松陰寺から先は、鶴見区の東寺尾。この寺尾という地名ですが、「横浜の町名」によると「新編武蔵風土記」の西寺尾村の項に、「なぜ寺尾と言うのかわからない。考えるに、松陰寺にある建武元年の寺地の図を見ると、昔は寺領が広かった事と思われる。それゆえ、寺のある尾根が続いていた場所なので寺尾と呼ぶのではないか」とあります。それとは別に「鶴見ところどころ」では、人名説を紹介しています。奥に市立東校が見えてきます。墓地が終わった先の分かれ道を右折します。 |
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高札場マンションや団地が立ち並ぶ道を進みます。目の前に森が見えてきて、そのT字路で右折。寺尾小学校の文集を読んでいると、この場所の地図に高札場と書かれています。ここが東寺尾村の中心だったのでしょうか。 |
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左折森は、白幡公園のものでした。道の左手に白幡公園があります。その入口も左手に覗いています。その白幡公園には入らずに進むとその先にも坂道が覗いています。その坂道を登ります。 |
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宮坂「鶴見の坂道」によるとこの坂道の事を宮坂と呼びます。この坂道の上に東寺尾の鎮守社、白幡神社があるからです。 |