十三塚

入定塚から道を真っ直ぐ進むと、こちらにもフェンスで囲まれた場所があります。ここが十三塚です。

稲城市の案内板によると、この塚は中世における民間信仰の遺跡であると考えられています。江戸時代になって、この場所は馬の飼料を採る秣(まぐさ)場の共有地でしたが、平尾村(現:稲城市)片平(注:五力田)、古沢村(現:川崎市麻生区)との間に、村の境界について争いが起きたということです。貞享3(1686)年、幕府の裁定により先ほどの入定塚とこの十三塚が境界となりました。

十三塚横

「川崎の町名」によると、その十三塚は入定塚の供養塔と思われるとの事。これを川崎側では、二十塚と呼んだととの事。現在では、平尾団地の建設工事で塚は崩されてしまい、はっきりとした塚は残っていません。稲城かるた「境界の決め手になった十三塚」

現在でも、この十三塚と入定塚が都県境となっています。さて、五力田の方に戻ろうと思います。車が置いてあって行き止まりのように思いますが、なにやら、道が続いているようです。

入定塚裏

このまま、丘の中に入るかと思いきや、民家の裏側に出てきて道は続いています。地図上では都県境を進みます。右手に先ほど見た入場塚を見ます。裏側に来たようです。

壁の上

入定塚を過ぎた辺りから、自分がいる所が奇妙なことに気付きます。相変わらず、民家の裏を通りつつも、道がコンクリートに変化したなあと思いながら進むと、いつのまにか、コンクリートの擁壁の上を歩いています。

本当に大丈夫かしら。民家から見たら、変な人が歩いていると思われるに違いありません。
続く