深谷町の石仏群

ヨークマートを過ぎた先で、古道が右手に分岐しています。ここから原宿町から深谷町に入ります。ちょうど、村境にある庚申塔。

左から享保13年(1728)、宝暦4年(1754)。立派な彫刻がされています。一番右の文字庚申塔を確認し忘れました。確か、嘉永(1852)だったような。「戸塚歴史ろまん」によれば、これらは、民家の屋敷内にあるとされているもので、これ以外にも、明治、大正の庚申塔があるはずだけど、3体しか見当たらない。

養魚場前

古道を進みます。途中で道が分岐しています。どっちに行けば良いかなと思いましたが、先に行く人がいたので、それについて左へ進みます。

前出の「大正地区歴史散歩の会」の案内板によると、この道は、昭和6年の県道すなわち、現在の環状4号線ができる前にあったという「かまくらみち」です。右手のお宅はこの辺りでは珍しい養魚場になっているらしく、確認はしませんでしたが、大きな池があることになっています。

かまくらみちと合流

先程の環状4号線をショートカットする形で、県道402号線に出てきます。このみちも「かまくらみち」。「かまくらみち」は先程の深谷交差点で、環状4号線からこの県道402号線へ変わるようだ。

右折して、かまくら道を進みます。その先に、三叉路バス停。どうやら先程のヨークマートのところで、三叉路になっていたようです。

深谷町倶楽部

この先、歩道が無かったか、あってもすごく狭かったような気がする。歩くには大変な道です。深谷東交差点を過ぎて、クラブ前バス停。右手の古めかしい建物がクラブのようだ。地区の集会所のことでしょう。

その建物の左手に、昭和11年の川辺勝三郎の顕彰碑が立っています。横浜市と合併したこの地域、大正村の村長だそうです。ちなみに、この場所は、この先の三島神社の参道入り口に当たります。
続く