人家

初めのうちは、人家があるので、まだ山道の雰囲気は感じられません。

そもそも、絹の道とは、幕末の横浜開港に伴い、輸出用の生糸が産地よりこの道(浜街道)を通って、横浜まで運ばれた道の別名のこと。現在の国道16号線、もしくは、町田街道のルートが近いでしょう。この先は、その当時の雰囲気が残る区間です。

監視カメラ

段々と進んでいきます。しばらく、舗装された道。

雑木林の入口に監視カメラがあるのがわかります。こんな所にあるのは、不法投棄防止のため。予防的意味もあって、警告しているのでしょう。あまり、良い感じではありません。

絹の道

雑木林に囲まれた坂道。土の道に変わります。「未舗装なので、歩行に注意」という張り紙がある。ここも観光地なんだろな。こんな道がしばらく続きます。S字にくねったりして、歩いていて楽しい道。

でも雨上がりのジメジメした夕方。歩いている人間なんて私くらい。

多少開ける

右手が明るくなります。その先には、枯れた冬の谷戸の風景。嫁入谷戸なんだろうか。その先に住宅地が見える。

案内板によれば、この尾根道の左手にある林は、かつて、御林(幕府直轄林)と呼ばれ、幕末に東京湾に台場を造営する際、伊豆の代官の江川太郎左衛門により、ここから切り出された松丸太の六千本が第六台場の土台となったようです。ここ鑓水は彼の支配地域。そして、この辺に多くの自然が残されているのも、御林(お留め山)の存在かもしれません。ちなみに御殿峠の辺りにも御林の文字が見えます。
続く