東京都水道局鑓水給水所横

再び雑木林の中に入り、坂道を登りつめて、その先にコンクリートの石垣を見つける辺り。

右手にその給水所の建物が見えてきたら、頂上はもうすぐ。

大塚山公園

峠の頂上にある大塚山公園前で、道が分かれます。ここは、大塚山と呼ばれています。大塚とあるように、実際に古墳があったようです。同時に八王子方面から鑓水に入る峠という意味なのか、鑓水峠と呼ばれます。公園として整備されている場所は、かつて道了堂というお堂がありました。

元境内の階段に、明治10年に日影谷戸にあった諏訪神社が子の神谷戸に移転した時、残された元の参道の石段が再利用されている模様。

かつての姿

案内板によれば、道了堂とは、明治7年(1874)、鑓水商人大塚五郎吉がこの峠を通る旅人や村内の安全のために、浅草から道了尊を勧請して、創建したもの。

その道了堂が栄えていた創建当時の版画。参詣者が引っ切りなしです。江戸時代末期から明治初め、今歩いてきた絹の道は、横浜と八王子を結ぶ浜街道、そして神奈川県道でした。としたら、この版画の様に栄えていても不思議ではないです。

道了堂跡

それも束の間の繁栄でした。明治22年(1889)の八王子までの中央線の開通。いつしか、八王子と横浜を結ぶ浜街道も御殿峠越えとなり、県道から里道に格下げ、さらに明治41年(1908)横浜線の開通で止めを刺されます。

昭和の時代まで残っていたお堂も昭和38年(1963)に堂主が亡くなってから荒廃し、昭和58年(1983)にお堂が取り壊されて、今は礎石のみが残ります。夕方、一人でここにいるのは、寂しい。そして、見る物もない。今は決して、陽気な場所ではありません。早々に立ち去ります。
続く