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村境尾根道竹林の中の坂道を登り、畑に出てきます。さらに、坂を登ると、川崎市と横浜市との境となる尾根道に出てきます。横溝潔著「山内のあゆみ」に載っていた保木地区(現在の美しが丘西)の昭和40年頃の地図によれば、この道は、村境尾根道として利用されていたことがわかります。あざみ野駅へは、ここを左折するのが近道ですが、今でも村境尾根道が残っているのか、確かめたくなりましたので、右折することにします。 |
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高圧線が続くこの道を挟んで、右側が川崎市宮前区、左側が横浜市青葉区。右手には、畑が続き、その先、道の左手に見えてくる鉄塔の下に、緑の垣根の保木東墓地があります。兵隊で戦死した人の大きな墓が印象的でした。その先には、造成地が見えます。この道に沿って、高圧線が続きます。先述の「山内のあゆみ」によれば、これは昭和2年に敷設されたという黒部幹線です。その当時、反対があったようですが、村境ということで押し切られてしまったそうです。その約80年後の今でも、高圧線は残っています。 |
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二又二又に出てきました。どちらに行こうかと悩みます。左手のアンテナ塔がある場所は建築資材置き場のように思えて、右に進みますが、出てきたところは先ほどのゴルフ練習場前の二又の別れ道。同じ場所に戻ってきてしまいました。そうなると、建築資材置き場みたいなのが、村境尾根道。進んでみると、道の脇に、建築資材のようなものが積み上げられているだけでした。 |
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アンテナ塔前からの眺め緩やかな坂を登って、アンテナ塔の前まできました。アンテナ塔の名前は、JPT川崎水沢局、J−フォン東京のものでした。そこから、横浜市側の保木地区を眺めます。奥に見える住宅地内の陸の孤島が、保木農業専用地区だと思います。後で行くことになります。 |