石橋供養塔石橋交差点脇には、こんなものがあります。この交差点の手前に早野川が流れており、旧王禅寺村と旧早野村との境となっていました。そこに石橋が架けられていたのです。石橋の名もそこから来たものだと思われます。川崎歴史ガイドによれば、井戸に身を投げた養女の供養のため、王禅寺村の青戸伝次郎が中心となって、13年の年月をかけ、文政12(1829)年に石橋を完成。石橋供養塔もその際に立てられ、現在のは、天保12(1841)年に再建されたものです。 |
野川柿生線交差点を左折し、琴平神社方面へ。ここで、「柿生の散歩道」とはお別れです。「柿生の散歩道」は交差点を右折して、早野川沿いに早野聖地公園方面へ。車の通行量の多い野川柿生線を歩いていると、道の右手の畑の入口に、観音講中と書かれた庚申塔を見つけます。やがて、左手の消防団倉庫の所で神明社からの道が合流し、右手の丘の上に旧柿生高校の校舎が見えてくると、琴平神社はまもなくです。 |
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琴平神社拝殿琴平神社は、本殿と拝殿とがあり、それほど離れていませんが、別の場所にあります。まず、目の前に見えてくるのは、大きな鳥居のある拝殿です。時間がないので拝殿は寄らない事にし、本殿に向かいます。「かながわの神社ガイドブック」によれば、琴平神社の創建は、元亀元(1570)年の頃とされています。「志村家文書」に、正徳年間(1711〜1717)には、すでに伊勢山と呼ばれる小丘の上に、神明社があったと記され、お江与の方が祀られていたそうです。文政9(1826)年讃岐国金毘羅宮が勧請され、三分宮の一社として知られることになり、神明社に合祀、神明社琴平社合社を経て、琴平神社となりました。そのため、祭神は、琴平大神(金刀毘羅大神=大国主命(大物主命))、天照皇大御神の二つです。「柿生のこんぴらさん」と呼ばれ、病気平癒・安産・商売繁盛の神様として信仰されています。 |