新政所橋へ

旧野庭高校のグランドに沿って、新政所橋へ。「下野庭」には、政所橋と書いてありますが、新政所橋の誤りです。政所という名前の由来は、鎌倉下の道と縁の深い北条政子(北政所)が由来と思われがちですが、この場所は関城、飯島城関連の政所の可能性もあり、明らかではありません。もっとも、天正19年(1591)の検地帳には「関代」とあるそうです。

坂道となり、坂道の途中にある新政所橋に出てきました。川を渡る橋というより、高架橋です。遥か下に流れる馬洗川を覗き込みます。支流が合流します。

上野庭の風景

新政所橋から野庭農業専用地区(農専)を眺めます。この辺りから下野庭から上野庭に入ります。上野庭村と下野庭村は元々は一つの村でしたが、安土・桃山時代に二つに分かれたと推定され、明治時代になって他の村と一緒に永谷村として再び一つとなり、横浜市に編入される際に、大字上野庭と大字下野庭とで野庭町が誕生しました。太陽が沈みかけています。急がねば。

分かれ道

新政所橋から道を戻り、鎌倉下の道を進みます。この辺りはビニールハウスが多いです。

丘の手前でT字路になります。下の道は右折していきます。次の目的地、西長院が右折した先にあることになっています。
続く