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石仏すっかり、時間を無駄使いしてしまいました。急がねば。先ほどの丘の前の分かれ道に戻ります。その分かれ道の角のところに、「こうなん道ばたの風土記」によると、明治13年の堅牢地神塔と延宝6年(1678)の庚申供養塔があります。私は年号をじっくり確認する余裕すら無かったようです。 |
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政所橋次の目的地、野庭神社へ急ぎます。丘の前の分かれ道を今度は左折します。すぐに、馬洗川となり、政所橋を渡ります。その先を右カーブします。奥の竹やぶの所に明治時代、野庭学校があった模様。さらにその奥にある建物は老人ホームのすずかけの郷。 |
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谷戸の中道の右手には谷戸が続きます。野庭農専の裏に当たるこの谷戸では、畑や土建屋の作業場など混在しています。 |
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野庭神社前17時を過ぎてしまいました。フラッシュ無しでは、写真を撮るのも厳しくなってきました。この狭い道を車が慌しく行き交います。その先に、野庭神社が見えてきました。入口に、上野庭町内会文化部による案内板があります。元は、元亀元年(1570)に、大和国吉野山から勧請し、字西ノ町権現山に蔵王権現社として建立され、寛政元年(1789)に現在地に移ってきたとのことです。明治になり、野庭神社御嶽社となりました。 |