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こうせん塚スダジイの根に抱かれるようにして石祠があります。石祠には、「文政十年(1827)十月施主天野勘左衛門」と刻まれ、湯飲み茶碗が供えられてあります。東京都の案内板によれば、「昔、麦こがし(こうせん)にむせて死んだ老婆をまつったもので、咳の病が治るように茶碗や竹筒に茶を入れて奉納し、祈願するようになったそうです。」他にも由来には諸説あるようです。最近(2006年3月頃)に町田駅前の商店街を歩いていると、そのこうせん(香煎)が売っていました。祖母や母に尋ねると、麦を粉にしたもので、昔食べたが、食べたい物ではないそうです。 |
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乗越八幡跡こうせん塚に続いて、乗越八幡跡があります。初め、気づかずに通り過ぎてしまいました。東京都の案内板が無ければ、ただの盛り土のように見えます。東京都の案内板によれば、「ここの墳丘状の塚は地元では「乗越八幡跡」と呼ばれているものですが、古文書には記録がありません。「乗越」の名は、峠のように、山道が尾根を越える地点に付けられる事が多く、「八幡」は戦の神なので、小野路城に関連するものかもしれません」。また、古墳かもしれないとの事。 |
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五差路その小野路城と野津田高校方面を繋ぐ道に出てきました。ここを左折すると、小野路城のある城山。右折すると、野津田高校方面。因みに、左側奥に見える建物は、「図師・小野路歴史環境保全地域」を管理している町田歴環管理組合の建物です。その右手を進むと、小野路の台経由で万松寺谷戸の降りていきます。その崖の上には、道祖神の石碑あり。残念ですが、小野路城に寄る余裕も無く、元の図師の谷戸に戻ろうと思います。右折します。 |
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切り通し野津田高校方面へ進みます。切り通しの坂を降りていきます。前方から、車がやってきます。良く見ると何とパトカーでした。今まで書いていませんが、今日は良く、パトカーと出会います。 |