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正山寺入口右手に丘が迫ってきます。その先の切り通しのような木立に差し掛かる手前で、正山寺への案内板が見えます。西山中谷戸から尾根道に出てきた先に見えたお寺です。寄る事にします。 |
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正山(しょうざん)寺浄土真宗、野中山正山寺。「鶴見川沿い歴史散歩」によれば、本尊:阿弥陀如来、創建:元和元年(1615)永禄12年(1569)武田信玄が小田原に侵入するのに加担し、北条氏から、元の小山町を追われて、現在地に移ってきたといいます。寺伝は、その由緒から、小山町から来たというので、小山寺→正山寺と寺名になった事を伝えています。本堂前につながれていた犬に散々に吠えられます。今日は本当に犬運が良くない日です。 |
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田中谷戸倶楽部木立ちの切り通しを抜けた先に、田中谷戸倶楽部があります。倶楽部といっても、集会所のようなものです。これこそ、「町田の民話と伝承第一集」にある「比丘尼の墓・六部塚」に、「「六部塚」に建てられたこの石碑は、現在、上小山田町の田中谷戸と野中谷戸のわかされ(三叉路)にある、「田中谷戸倶楽部」の庭に移され、安置されている。」の田中谷戸倶楽部なのです。 |
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石仏群石仏群があります。六部の墓がありますが、その六部塚ではありません。本当の六部塚には、「町田の民話と伝承第一集」によると、碑面には「寛保2年、六十六部訳西順比丘尼、五月十四日」、側面には「嘉永三年十二月再建、信州伊那群阿武隈村、俗名片桐勘四郎」と刻まれているそうです。「六部塚」の西にあったという「山王塚」の石碑も移されています。 |