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堂ヶ坂(どがさか)坂道に入り、すぐ左手に石の階段を見つけます。階段の上に早苗地蔵を収めた早苗堂があります。この早苗地蔵には伝説があり、そばにある由来の石碑によると天文元年(1532)の頃、現在の工業地帯となっている一体は、用水が無いため、毎年のように旱魃が起きていました。堂ヶ坂下の小庵に娘と住んでいた了信という僧が村人が嘆き悲しむのを見て、そこへそばを流れる谷戸川の水を引き入れようと、独り、用水路を切り開き始めました。村人達は何を無駄なことをと笑い、加わろうとはしませんでした。 |
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早苗地蔵了信はめげずに掘り続けました。やがて村人達が加わるようになり、村をあげての事業になりました。翌年の春に土砂崩れが起き、それに巻き込まれ了信とその娘は死んでしまいました。その後、了信の意志を引継ぎ、天文8年(1539)4月遂に完成しました。その百年後、村人達は了信とその娘を偲び、2体の石仏を安置し、早苗を供えて秋の豊穣を祈りました。それゆえ、早苗地蔵と呼ぶのです。左側の立像には、寛文11年(1671)、右側の舟形光背の地蔵には、天和壬戌(天和2年(1682))とあるそうです。 |
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真照寺へ坂道を下り、下まで降りる手前で左折します。切り通しに架かる真照寺橋を渡ります。 |
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真照寺橋真照寺橋を渡るとその名の通り、真照寺の山門が見えてきます。 |