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新横浜元石川線に降りてくるやがて、坂道は階段となり、オートバックスの横の坂道を降りると新横浜元石川線に降りてきます。途中で、長福寺へ近道をしようとして、住宅地側から近づいてみたものの、フェンスに阻まれ、断念。念のために書いておきます。 |
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長福寺東側交差点新横浜元石川線を北上します。右手に新羽・大熊農業専用地区。長福寺東側交差点を左折します。その先に長福寺の立派な境内が見えてきます。 |
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久松長福寺「緑区資料編第一巻」によると、長福寺は曹洞宗で、天正3年に開基。開基の自山順応大和尚は、今川氏の末流、入野三郎助です。安政元年火災にかかり、堂宇を全部、焼失。文久4年再建。この長福寺がある仲町台は、元々、大熊町の一部でした。港北ニュータウンの開発により、建物も建て替えられ、墓地には聖観音菩薩が建立されています。横浜市の名木に指定されている境内のイチョウの木は、樹齢100年以上です。真照寺とは対照的に秋の深まりを告げます。 |
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熊野権現本堂の脇に熊野権現があります。昔、長福寺は、この熊野権現の別当でした。新編武蔵風土記の大熊村、熊野社の項に、「縁起によると当社は承平年中、平将門が宿願をし不思議な霊夢を見て、この社に参籠した夜、コケラ不動閻浮壇金の観音を授かり、それより将門の威勢が盛んになりました。」長福寺の北側、新横浜元石川線に架かる将門橋の名の由来もこれに因んだと思われます。 |