山王稲荷社前

切り通しの左手の崖に階段が設けられており、その先に山王社と稲荷社が並んでいます。左が山王社、右が稲荷社。

狭い境内には、社の由緒の説明があり、同時に宮沢の由来の説明もしています。これによれば、慶安年間(1648)〜承応年間(1652)に、旗本石川六左衛門が自らの石高を補う為、瀬野(現在の瀬谷)と和泉の間に荒地を見つけ、領地である上矢部村の住民を入植させ、宮沢の南方和泉境より開墾を開始したそうです。

山王社・稲荷社

ガイドブックによれば、この山王社・稲荷社はこの周辺の開拓農民が安全祈願のために建立したものです。それゆえ、由緒によれば、先程の宮沢の中心地に鎮座する神明社よりも古い宮沢最古の社です。

さらに、この稲荷社は竹がお嫌いで、宮沢の地区では正月の門松の中には、竹は使用しないとのことです。貴重な竹を無駄に使わない、もしくは、繁茂していた竹を敵としていた開拓時代の名残なのでしょうか。

ビニールハウス

山王稲荷社前の道を引き返して、西進します。先程の十字路を右折した形。宮沢の畑が広がっています。道沿いにビニルハウスが続きます。

山王稲荷社の由緒の説明によれば、この宮沢の耕地が出来上がったのは、元禄年間(1680年頃)と思われるということです。そういえば、中村の辻に立っていた庚申塔も元禄年間のものでした。ようやく、石仏を作る余裕ができたということなのでしょう。

宮沢六道の辻前

道が他の道と交差する所に、宮沢六道の辻があります。この場所へは、以前、泉区側から来た事があります。

名前の通り、この場所は六差路の辻となっていますが、先程の中村の辻とは、かなり性格を異にします。
続く