与兵衛坂へ

造成地の左横に、またしても丘の下に降りる坂道を見つけます。

このまま、先に進んでも町田下水処理場前に降りてくることがわかっていたので、降りてみることにしました。この坂道を与兵衛坂と呼びます。丘の斜面を一直線に降りる急な坂道です。

与兵衛坂

「町田の民話と伝承第二集」によると、「昔、成瀬の東光寺に「与平」という医者がいた。村の人々は、病気にかかると必ず与平医者に診察してもらった。どんな難病であっても、与平医者に見てもらうと必ず全快した。この話は、いつとはなしに近隣の村々にも知れ渡り、大変繁盛することになった。」

「与平医者に診てもらうためには、馬坂を通っていかなければならなかった。そのうち、一刻も早く診てもらいたい気持ちから近くの崖をよじ登って診察を受けにくるものが出るようになった。」

降りてきた

そして、「親切で患者思いの与平医者は、仕方なく崖を切り通して近道を作り、人々は感謝と敬意を込めて、「よへい坂」というようになった。」と。

与兵衛坂を降りてきた所に、南成瀬東町内会が建立した「与兵衛坂」と書かれた道標があります。傍にある東光寺郷土史研究会の案内板によると、この伝承は江戸時代末期の物語と思われ、与平は与兵衛が正しいとのこと。

東光寺入口

与兵衛坂を降りてくると、下水処理場沿いの道に出て、西進すると、左手から先程の丘の尾根道が合流してきます。東光寺講中の説明板によれば、ちょうど、その辺りが昔、東光寺堰があった辺りだそうです。

この場所に石像が集まっています。右から享保8年(1723)の庚申塔丸彫り地蔵(川田藤左衛門の首切り地蔵とも)、嘉永2年(1849)の地神塔、そして、造立年代不明の道祖神があります。さらに地蔵の裏手に、壊れた石仏群があるそうですが、その時、そこで猫達が集会をしており、私は気付かなかったようです。
続く