無名戦士の墓

石垣の上に宝篋印塔、五輪塔があります。年号不明ですが、かなり古いものだと思われます。

関戸の戦いでの戦死者の供養塔のようで、背後にある卒塔婆にも北条・新田無名戦士の文字が見えます。

諏訪明神

無名戦士の墓のある石段を登っていくと、そこには、石祠がありました。先程のマンションが目と鼻の先に見えます。向こうの方がまだ高い。

なかじさんの「こったがわだより」によると、天明2年(1782)の諏訪明神であるということです。

石垣に沿って進む

石段を降りて、旧鎌倉街道を石垣に沿って進みます。次の関戸の庚申塔を探しながら進むものの、なかなか見つからず、同じ場所を何度もうろうろ。歩道が狭いので、歩行者同士のすれ違いも大変。私って、迷惑な存在。

数年前に来たときに見つけていたので、あるのは確かです。慎重に石垣の上にある生け垣の中を覗きながら進むと、ようやく見つけることができました。

関戸の庚申塔

「新多摩石仏散歩」によると、寛文13年(1673)の多摩市最古の文字庚申塔です。

主尊である青面金剛だけが彫られておらず、三猿と二鶏だけは彫ってあるという珍しい庚申塔です。
続く