成瀬児童遊園前

住宅地の中の坂道を登って、下ります。

左手に成瀬児童遊園が見えますが、遊んでいる子供の姿は見えません。

横大門

成瀬児童遊園が終わると、成瀬から恩田への丘越えの道を横切ります。その先に東雲寺が見えます。

「成瀬の石仏」によると、この場所を横大門と呼んでいるらしい。でも、ここには、山門は無く、東雲寺の境内に入ります。東雲寺への横の入口という事でしょう。この東雲寺は、奈良谷戸という場所になります。

東雲寺

曹洞宗龍谷山東雲寺。本尊、釋迦牟尼仏。境内にある縁起によれば、戦国時代の天文5年(1536)に世を去った龍谷により、小机城の出城として、会下山に築かれた成瀬城の向かいの寺屋敷という地名の場所に、防御施設として建立されました。

その後、天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原城攻めにより、成瀬城は落城、廃城となり、東雲寺も廃寺となります。江戸時代になり、元和6年(1620)に明岩宗珠によって、現在地に再興されました。

墓地へ

境内のトイレをお借りして、境内をぶらぶらしていると、「井戸石見守の墓→」という案内を見つけ、それに従って、境内奥への墓地に進みます。

都県境の丘を背に、3月初旬の墓地では、紅梅の花が咲き乱れています。
続く