井戸守の墓

墓地の一角に、立派な石の覆いがされた墓があります。これが、幕末、成瀬村の領主だった井戸石見守弘道夫妻の墓です。その右隣には、顕彰碑が立ちます。

ただの領主の墓ならば、このようには、顕彰されません。「町田の民話と伝承、第一集」によれば、この井戸石見守は、ペリーの艦隊が幕末の嘉永6年(1853)、浦賀沖に現れた際、ペリーと会見をした幕府側の人間だったのです。当時、井戸石見守は、江戸詰め浦賀奉行であり、現地浦賀奉行である戸田伊豆守の補佐役として、ペリーが携えてきた開国を迫る大統領の親書を受け取ったのです。この出来事が、日本の開国のきっかけとなりました。

釈迦堂

境内には、平成2年(1990)4月8日、即ち、釈迦の誕生日に建立された新しい釈迦堂があります。釈迦堂の正面に近づくと、自動的に照明がつき、その中に安置されている誕生仏を拝めるようになっています。

「町田の民話と伝承、第一集」によれば、この誕生仏は、釈迦誕生を祝う花祭り(潅仏会)の本尊です。この潅仏会は、盂蘭盆会を並ぶ行事となっています。

誕生仏

「町田の民話と伝承、第一集」によれば、白鳳時代(七世紀後半)の作品で、関東、東北地方で最古の石仏です。火災に遭っているため、両足首以下が失われ、目鼻立ちがはっきりしていません。

檀家の寄進による案内板によると、誕生仏とは、釈迦が誕生した際、「天上天下唯我独尊」と叫び、右手を挙げた姿を象ったものが一般的ですが、この誕生仏はそれとは異なり、左手を挙げていることが注目されるべき点とされています。これには教義的根拠は見当たらず、古代のものであることを裏付けています。
続く