金比羅堂

境内には、他にも金比羅堂があります。檀家の寄進による由来によれば、古老の話によると、元々、恩田に続く道路の脇にあり、明治の初めには賑やかに祭りが行われたそうです。

昔の恩田に続く道路とは、先程の横大門の門前の丘越えの道でしょうか。

鐘楼

かつて茅葺きだったという鐘楼は、近年、瓦に葺き替えられたようです。

これまた、檀家の寄進による由来によれば、この延享二年(1745)の鐘は、昭和18年に、先の大戦で兵器にするため、金属として供出されたものの、川崎の工場で終戦を迎え、戦後、兵庫県に移されていたところ、当寺の鐘であることがわかり、昭和22年、再び、戻ってきたという非常に運の良い鐘です。

東雲寺石門

この東雲寺には山門がありません。上の鐘楼の由来によれば、明治11年に火災に遭い、鐘以外の建物は、全て焼けてしまったようです。

石門前に立つ地蔵は、檀家の寄進による由来によれば、享保12年(1727)に当時の住職により建立されたものであるとのこと。他にも、石門右手にある石垣に沿って、ずらりと石仏が並びますが、割愛。「成瀬の石仏」に詳しく、一体ずつ紹介されています。

二十三夜塔

石門の左手にも、石仏が2体並んでいます。右側が天保2年(1831)の勢至菩薩を本尊とした二十三夜塔で、左側が文政4年(1821)の聖観音の観音供養塔です。「成瀬の石仏」によると、同じ住職が建立です。

檀家の寄進による由来によれば、二十三夜とは村の講中の人々が、陰暦二十三日の夜に集まり、月の出を待つ行事です。この夜に月待ちをすれば、願い事が叶うという信仰があったそうです。
続く