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双体道祖神と堅牢地神道の左手の民家側に引っ込んだ場所に、左、年不明の双体道祖神と右、天保4年(1833)の堅牢地神があります。双体道祖神のうち、右側の一体(女神)の顔が欠け、さらに全体まで風化が進んでいます。「新多摩石仏散歩」には、寛保二年(1742)と読みとれた事が書かれています。堅牢地神の方は、「成瀬の石仏」によると、願主が無事に西国、板東、秩父札所巡りを終えて、念願が叶った記念として作られたと思われるとのこと。 |
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成瀬街道と合流再び、成瀬街道に出てきます。左折して、成瀬の中心部へ。「成瀬」によると、諏訪神社前から歩いてきたルートは、旧鎌倉街道に当たるようです。旧道は、成瀬街道を横切り、まだ続いているように見えます。そういえば、この先のかしの木山公園にも鎌倉古道がありましたが、この道の一部だったのでしょうか。成瀬街道の途中に、成瀬駐在所があります。 |
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成瀬センター前交差点左手に成瀬高校のグランドを見て、成瀬の中心部、その名も成瀬センター前交差点に出てきます。成瀬センターという施設があるのでしょうか。この時点ではわからず。その前に、交差点に聳える緑色の怪しげな鉄塔が気になります。これから先のルートは、この交差点を右折します。 |
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中村バス停付近交差点付近で、恩田川に合流する三又川沿いの道を歩いていきます。途中のバス停名は、中村。名前の通り、村の中心という意味なのでしょう。怪しげな鉄塔の正体がわかりました。どうやら、川の上に立てられた高圧線のようです。通常の高圧線と形も違い、緑色に塗られているのは、なぜなのでしょう。(追記:5.26、近所にお住まいの方から理由を教えていただきました。景観をなるべく損ねないようにするための色や形にしたのだそうです。) |