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観性寺前緑色の鉄塔は、この先の観性寺遊水池の辺りまで続きます。その先に雑木林の丘が見えてきて、ずいぶん遠くまで来たことを感じます。たぶん、東玉川学園にある昭和薬科大学のキャンパスでしょう。その手前の丘の上に見えるお堂が観性寺です。案内板によれば、曹洞宗三枝山観性寺。松山和尚が万治元年(1660)に開創。本尊が如意輪観音のため、三又観音堂とも。境内には武相観音の札所の赤い幟が翻ります。谷戸上合(三ッ又・鞍掛・中村)の三講中により、管理運営されています。 |
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地蔵庚申塔と青面金剛庚申塔観性寺の参道の階段の入口付近、左手の墓地側に置かれた石仏があります。「成瀬の石仏」によれば、左にあるのが、宝永3年(1706)の地蔵庚申塔。右にあるもはや、何であったかわからないほど破損している石仏は、残存部分にある三猿の一部により、ようやく庚申塔であることがわかるだけです。 |
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弁財天本堂の前に、ちょっと、見落としそうな小さな祠があります。弁財天です。「成瀬」によると、観性寺の近所にあったのを現在地に移したそうです。 |
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日枝神社(山王様)本堂とは反対側、境内の一番南側にある祠は、日枝神社です。背後には、住宅が建ち並び、丘の高さまで開発がされていることがわかります。日枝神社に隣接する住宅地側の広場のような所に、区画整理事業の記念碑らしきものが建っているものの、近づけず。残念。「成瀬」によると、元は、観性寺の近所の山の中にあったそうです。 |